相手

 今日2つの本を読んだ。
とある2人のエッセイ。
その二人に関連性はなく
内容も全く異なっている。
しかし、その2冊の中で
表現に関する記述が非常に気になったのだ。


 要は、誰を意識するのか。
表現するに当たってはそれを誰に訴えたいのか
見せたいのか、知らせたいのか。
それが重要であるかという事。


いや、そんなのは当然だろう?
そう確かに当然だ
しかし一方で不特定多数を意識しすぎる表現物というものがあるのも
事実であろう。
例えばこの僕が書いている文章などは特にその傾向がある。


とは言ってもでは”誰”を意識するのか
スグにパッと出てくるモノではない。
当面は自分を意識するしかないだろうか。
書きたい誰かを見いだすまでは。