やってはいけない富士登山7

★3-1.2人きり


「ねえ、富士山ってこんななの?」
「だったかなあ・・・。」
Aも不安と戸惑いを隠せない。


 あの分かれ道から数時間後、
僕らは四つんばいで必死に山と格闘していた。
本やテレビなどで見た登山の映像とは
まったく似つかない格好で。


 最初は快適な砂利道だった。
あの枝を軽く杖の代わりに使い
ステップなどかまして。


 ある時だ。
『傾斜、きつくなってきたなあ。』
そう思っているうちに
傾斜を前に立っているのが辛くなり
四足歩行へと変わっていく。
そして冒頭の言葉へ。


 少し登っては傾斜を背に一休み。
そんなことをどれほど繰り返したのだろうか。
「看板見かけた?」
「ううん、無いよね。」
「って事はまだ7合目にも着いていないのか?」
どこまで来たのかさっぱりわからない。
少なくとも上へ進んでいるのは間違いないのだが。


 ガイドブックの地図を広げ、
暗闇の中、懐中電灯の明かりで現在位置を探す。
「えーと。」
徒労、いわゆる無駄な事って奴だ。
僕らのした事は。


 辺りに何も目印のない状態で
広げた地図が何の役に立とうか。
結局何もわからないという失望が与えられただけ。


 そして何よりもこの数時間、他の登山者に会っていない。
その事実は多少の不安を僕らに与えた。
しかし、自分たちは正しく登山道を上っていると信じていた。
なぜかって?

  • もともと登山にはあまり人気のない須走口
  • シーズン終わり頃
  • 真夜中

これらから人に会わないのは当然であろうと考えていたのだ。


 さらに”茶碗のカケラ”など
人がいる証を見つけていたのだ。
これは間違いない、と。


 言いたい事はわかる。
それのどこが自信を成す理由になるかと。
そもそも富士山のあの様な場所に
茶碗のかけらが落ちていたら
逆に変に思わないかと。


 その時僕らは
周囲の状況をとにかくプラスと考え
自らを鼓舞していた
だからこそ、冷静に第三者的視点から考えれば
おかしなことでもそれを認めるわけにはいかなかった。


 なにせ、この広い山には
僕ら2人しかいない。
そう心の隅で感じていた
それ程までに寂しい状態だったのだから。