つながり
”あなたが無駄にした一日は
生きたかった誰かの一日。”
この言葉を聞いてどう思うだろうか。
<明日>を迎えられなかった人がいる
その<明日>に生きている人がいる。
2つの”明日”は決して同じとはならない。
彼の<明日>は彼のものだったし、
私の<明日>は私のものだ。
だから、別になに、それがどうした?
なんて考えもあるのだと思う。
一方で、それらを限りなく近づけることができる人もいる。
託された夢を実現するなどで。
例をあげるまでもなく、
一つや二つ、誰にも思い浮かぶだろう。
この場合、実際に行ったのは生きている人であり、
亡くなった人が持ったであろう明日のページに
それが描かれることはない。
あくまで成した人の日記に記されていく。
そこに見いだせる亡くなった人の思い
故に先の言葉も生きるのだろう。
それならば、なんの影響もない赤の他人ならどうなのか。
世界のどこかで亡くなった人がいる。
面識もない方だ。
関係があればという考えならば
そこにこの言葉を当てはめられない。
だが、必ずそうなんだろうかとも思う。
全く知らない人に対して思うことはできないだろうかと。
確かにそれは片方からの思いこみに過ぎないかもしれない。
しかし、その思いが生まれた時点で
2つは無関係ではなく、関係あるものとなった。
であれば・・・。
昨日から色々あって思うところを整理しているのだが
やはりまだまだまとまらないなあ。