今年の漢字は「新」と先日発表があった。
清水寺での恒例行事を見ると
ああ今年も終わりなんだなあと
しみじみ思う。


 僕個人としては「別」
別れの年であったと言える。
そもそもが別れの儀式から始まり
4月・10月には突然の出来事なんてのがあった。
青天の霹靂、
とはいえ別れは常に突然
そんなものなのかもしれないが。


 物事は常に続く訳ではなく
始まりがあれば終わりがあり
その無くなる時が必ず訪れる。
どんなに大きくても
どんなに多くても


遙か古代、自国の大軍勢を見つめ
満足していた国王が
ふと思ったことに落涙したという話がある。
それは、”100年後にはここにいる誰もがこの世にない”
ということ。


 唐突すぎる話かも知れないが
分かる気もする。
例えば次の世紀、22世紀。
今生きている人がどれだけ迎えられるだろうか。
約90年
ゼロとは言わないまでも
ほとんどの人がもうそこにはいない。


これを
ふーんと思うもよし
だから?と思うもよし
時の流れに対する人の滞在時間が短いとただ落胆するもよし
短い時をいかに使うかと決断するもよし
それはその人の考え方なのだから。


さて、どう考える?