自分の師匠は誰なんだろうとたまに考える

 落語にこんな話がある


 長者に招待を受けたのだが
懐石料理のマナーがさっぱりわからない
途方に暮れていたが
村一番の物知りが分かっているとのことで一安心
彼の真似をすることとなる。


当日、彼を端にずらーっと一列に並ぶ人々
最初はよかったのだが
あまりの真似っぷりに緊張してしまうところから
問題が始まる。


、箸を滑らせ、芋を1個落とせば
皆も倣い落とす。
それもご丁寧に1個だけ
慌ててご飯をかき込む
そのため鼻の頭にご飯粒がつけば
これまた真似る
わざわざその粒数までも


あまりの様子にいらだった物知りは
肘で横の者の腋をつつく。
これもマナーだと思い、次々横へ肘打ち
最後の男が
「自分は誰をつっつけばいいの?」
と嘆いて落ちとなる



・・・って淡々とストーリー書いても
面白くはならないか
まあそんな話がある。
この話では”真似すぎた”ところに
一つの笑いがある訳だが
真似る事自体は悪い事じゃあない。
むしろ基本。
学ぶは真似るから来ている
なんて話もあるし。


 守・破・離って言葉がある
守、まずは徹底的に真似る
破、守の段階を過ぎたらそれを応用していく
離、守で学んだこと、破で試したことをベースに
自分オリジナルを作る
みたいな感じか


まずは真似てみる
それが一番の近道
何にしても
自分のベースとなるものを探す
それがある意味で仕事最大の秘訣


 あと約1月で今年も”新人”がやってくる
さて、今回はどうなんでしょう
なんて考えてしまうのは年老いた証拠か(笑)