あってなくて なくてあって

 祭りは非日常である。
だからこそ人はここぞとばかりに
騒ぎ謳歌する。
今このときの、楽しみのために


祭りの後は寂しい。
そこにあったはずの喧噪は
塵一つ消え去り
静寂が訪れている。


日常、あるべき姿に戻った
といえるのだが
祭りの空間を知っていれば
その対比により反動は大きく感じられる。


 本来はゼロに戻っただけ
祭りはプラスであったはず
しかしいつしか祭りの状態がゼロとなり
日常がマイナスへと落ち込む。
そう感じられてしまうのだ。


これは祭りに参加した者で無ければ
得られない体験。
彼らの目には見えるのだ。
何も無い様に見える空間にあったものが
祭りの世界が


そういった一部に限られた感覚を
コンピュータを使って実現する/共有する
仮想現実の技術。
昨年来話題になったセカイカメラなど
なんと凄い技術なのだろうか


誰かの持つ体験を共有する。
実体験に勝るものは無いとか
いったん置いておいて
単純な技術として見た場合
なんて興味深いものなのだろうか。


無いはずのものがあり、
またあるように見えるものが
実は無かったり
もちろん利用方法は
それだけではないのだろう
どんなことができるのか
考えるだけでワクワクしてくる。