おおもと

 物心がついた頃、
気がついた頃には
もう親は親であった。


しかしそれは親という人間の一部に過ぎず、
親でない時代というものが当然あるわけだ。
子供であった時期
思春期と呼ばれるような時期
等々が。


目新しくもなく
当然な話。
でもそれを思いつくか
どんなものが想像できるかと言われると
正直なところ自信がない、のではないだろうか。


古い写真や
過去の出来事にまつわる思い出話
それらから断片的に構成していく
こうだったのではないか?と予想していく
当たりか外れかは本人にしかわからない。
いや、本人すらもう忘却の彼方にあるかもしれず
当たりなんて物はないかもしれない。


 経験が人を作る。
自分の両親が今の考えに至ったのは
その過ごした日々にある。
そして得た知識・経験は
子供の教育にも生かされるであろう。
こうして連綿と、長い間に渡って
過去が受け継がれていく。


 普段あまり意識しない。
古いこと、を。
しかしそれは自分の中にもあり
形作っている。
なぜそう考えるのか、
わからなくなったとき
”昔”を見てみるとわかるのかもしれない。


ルーツ、至った何かがあるはずだから。