すれ違い

 相手は常にそこにある
しかし、自分の側が立場異なることにより
その見え方が異なることがある。


例えば歩いているときには見える
町並みの看板も
電車から見たときには
あまりに一瞬のこととなり
まったく見ることが出来ない。


良くて、『あ、何かあったな』という反応
通常であれば、感じられないが故に
無かったことになるであろう。


それを得るためには
様々な角度、方法といったことで
現象に触れなければならない。
しかし、それはどだい無理な話とも言える。
接する時間は限られており
また相手がその状態に常にあるとも限らないのだから。


 刹那、自分の触れている何かは
ホンの一瞬の偶然が作り出していること、
なのかもしれない。
今、
目に見えるモノ、
耳に聞こえるモノ、
手に触れるモノ
全てがそう、偶然に。


それをどう感じるか。
深い何かがあるように思う。