残る

 僕が子供の頃の記録と言えば
今残るのは写真と誰かの記憶
幼稚園、小学校の頃の”作品”などは
保存する場所の問題と
そもそも紙など素材の耐久性が限界となり
捨てられて今はもうすでにない。


今の時代、
電子の世界に保存することで
ある意味、半永久的に取っておくことができる。
子供の初めて書いた絵や手紙などはお手の物
スキャナ一発でそのときのママを保存してくれる。
便利になったモノだなあとつくづく思う。


 しかし一方で”ありのまま”が残ることは
一つの弊害を生む。
記憶は美化される。
良いモノはより良く、
悪いモノはそれなりにと。
人の記憶力が持つ
ある意味で便利な機能だ。


しかしママ残ることは、それが許されない。
そっくりそのママとなる。
これって大人になった時どうなるんだろう。
喜ぶ子もいるのだろうが
あまりの有様に顔から火が出る子も
多数いるのだろう。


例えば子供の頃のあんな振る舞い、
こんな振る舞いが動画として残される。
子供だからできたこと、してたことが
見られるわけだ。


いやー、想像しただけで恐ろしい・・・
などと思うのだが、さてどうだろうか。
観客側はいつまでも楽しめることがうれしいだろうが
出演者は若気の至りをずーっと持ち続ける。
・・・やっぱりつらいなあ、それ。